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BALCARの歴史

BALCARとは...
バルカーは広告写真家向けの大型ストロボを世界的に開発した会社で、日本の広告写真業界の発展に大きく貢献しました。

[目次]
ディク・バリー日本でのバルカーストロボ
バルカーのセミナーストロボの大光量撮影
蛍光灯照明機器デジタル時代
バルカー社の終焉スーパーダイヤモンドボックス

[資料集]
ここでご紹介しました日本語のカタログと取扱説明書は、バルカー製品の特長を深くご理解して戴く為に、当時のバルカー製品の日本総代理店が制作し配布された印刷物のコピーを掲載いたしました。ファッション界の流行の変化が、広告写真の世界では、新しい撮影手法やアクセサリーを数多く生み出しました。
※以下、eBook版でご覧ください。

  • ● 1941-1946
    A Photographer's Story
    The War Years by Mardick Balli

  • ● 1970年
    フレンチバルカーストロボの御案内

  • ● 1970年
    BALCAR 2400コネクター使用書

  • ● 1970年
    創造の世界に挑む
    ―フレンチバルカー・ストロボ

  • ● 1972年
    創造の世界に挑む
    ―フレンチバルカー・ストロボ

  • ● 1972年
    ELECTRONIC FLASHES POWER PACKS

  • ● 1972年
    THE BALCAR SYSTEM

  • ● 1972年
    ELECTRONIC FLASH

  • ● 1975年
    BALCAR

  • ● 1975年
    バルカー・ストロボ取扱説明書

  • ● 1978年
    BALCAR

  • ● 1980年
    THE BALCAR SYSTEM

  • ● 1981年
    バルカーストロボ取扱説明書

  • ● 1983年
    THE BALCAR SYSTEM

  • ● 1984年
    THE BALCAR SYSTEM

  • ● 1988年
    HOW TO OPERATE

  • ● 1988年
    SOURCE FLASHES AND LIGHT HEADS

  • ● 1995年
    STUDIO LIGHTING DESIGNER

  • ● 2003年
    インストラクション・マニュアル

  • ● 2004年
    AQ Pack

  • ● 2004年
    Nomad INSTRUCTION MANUAL

  • ● 2004年
    Nomad インストラクション・マニュアル

  • ● 2005年
    BALCAR Photographic System

  • ● 2005年
    BALCAR INSTRUCTION MANUAL

  • ● 2006年
    BALCAR Lighting SystemsL

  • Brenda & Mardick Baliozian Photo by Seiji Mutoh 2000
    Brenda & Mardick Baliozian | Photo by Seiji Mutoh 2000

    ディク・バリー
     バルカーストロボの開発者Mr. Mardick Baliozian(通称ディク・バリー)は1925年アメリカ・ニューヨーク州で生まれました。第二次大戦時は米国海軍のカメラマンとして、パラオ、テニアン諸島を基地とした偵察機の空撮に従事しました。
     1944年に除隊しAmherst Collegeに入学して初期は写真機工学を学びました。その間、出版社やラジオ局の仕事に携わりました。1950年にファインアート学と理数学を優秀な成績で修了して卒業しました。その後、絵画のような芸術性の高い写真撮影を望み、フランス・パリに渡り、VOGUE, ELLE等のファッションメーカーの広告写真家として1957年まで活躍しました。その間に撮影用照明機材の開発にも携わり、1954年にバルカー社を立ち上げ、アンブレラバウンズを利用した大光量のストロボを発売しました。
     発売したストロボはチャージサイクルも速く、大光量のソフトライティングは、多くの広告写真家の賛同を得ました。この反響はフランスだけでなくアメリカでも大きくなり、アメリカでもストロボの販売を始めました。暫らくして米国の輸入代理店トーマ社が、此のストロボのコピー商品を製造して販売した為に、バルカー社は輸入代理店を変えましたが、此のコピー商品の一部が、トーマスバルカーとして日本に導入され、広告写真家に愛用されました。

    日本でのバルカーストロボ
     日本では、1970年に大沢商会がバルカー社の輸入総代理店となり、広告写真市場に向けて販売を始めました。他社製品に比べ、小型でチャージサイクルも速く、ソフトライティングの効果は日本の広告写真家にもたいへん好まれましたので、多くのレンタルスタジオが導入をしました。しかし当時はアメリカから輸入されたトーマスバルカーも活躍しており、バルカーストロボの呼称に混乱を生じました。
     米国ではトーマ社と代理店契約が解消されて、販売も終了しておりましたが、日本では依然多くが利用されており、混乱を防ぐために、バルカー社製は「フレンチ」、米国トーマ社製は「トーマス」と呼ばれ区別されました。その後、同様なデザインとブランドの商品はなくなりましたので、混乱は解消されました。
     バルカーストロボは、広告写真業界ではストロボの代名詞となり、「フレンチ」又は、「バルカー」と呼ばれ多くの広告写真スタジオで愛用されました。

    バルカーのセミナー
     開発者のディク・バリーは、ファッション写真家のバックボーンを生かし、その時代のファッションに応じた撮影ができる新しいストロボとライティングアクセサリーを常に開発し、ストロボセミナー(WORKSHOP)を通じて、世界の広告写真家に提案してきました。この様なセミナーは、広告写真家の新しいライティング手法の開発に寄与し、バルカー社もオリジナルアクセサリーの販売が拡大し、広告写真制作のオピニオンリーダーになりました。
     日本でもセミナーを頻繁に開催し、常に斬新なライティング紹介して、広告写真家の制作意欲の拡大に貢献しました。ディク・バリーが紹介したライティングアクセサリーの多くは、ストロボ照明のスタンダート化と成り、世界のストロボメーカーの自社アクセサリーの開発にも貢献しました。主なアクセサリーは次の通りです。商品は当時のバルカーストロボのカタログに紹介してありますので、ご確認ください。

    *アンブレラバウンズ 携帯に便利で、コントラストの低い均一なソフトライティングが得られる。
    *オパライト 大口径リフレクターで、被写体の質感を表現し易い。高いコントラストが得られる。
    *グリットスポット 蜂の巣状のグリットが、簡単にグラデーションの有るスポット効果を出す。レンズを使用していないので色収差も無い。
    *ジャンボアンブレラ 180CM径のアンブレラバウンズで、広範囲を均一にライチィングが出来る。
    *スポットプロジェクター ストロボヘッドにプロジェクターを取付け、ストロボ撮影にパターン投影を加える。
    *ブラックライト 通常はランプ光源であるので動体撮影は難しいが、ストロボライトヘッドにブラックライトフルター(耐熱ガラス製)を取り付けることで蛍光ペイントの動体の撮影ができる。
    *プリズマライトボックス 平面パネルを多面状態に折り曲げたライトボックスで1灯ライティングで多灯の効果を出し、ソフトでありながらメリハリのある光が得られる。


    バルカーのライティングセミナーの講師はディク・バリーが担当し、デモンストレーション撮影を通じて新商品のコンセプトを紹介しました。しかし1985年頃からは、活躍中の新進気鋭の広告写真家が担当しました。参加者には撮影手法の討議を通じて、海外の写真家の現状を紹介しました。講師は下記の広告写真家です。

      1985年  Mr. Raymond Meier(Switzerland)
      1987年  Mr. Gaston Wicky(Switzerland)
      1988年  Mr. Jean-Marie Bottequin(Germany)
      1990年  Mr. John Beckett(U.S.A.)
      1991年  Mr. Don Emmerich(U.S.A.)

     
         1985年                 1987年

     
         1988年                 1990年

     一方、日本の輸入元はバルカーのセミナーと並行して、プロショップやレンタルスタジオの社員向けに海外研修旅行を実施しました。これにより海外でのバルカーストロボの活躍を紹介出来、レンタルスタジオや工場訪問で商品への親密感の向上に役立ちました。特にフォトキナ、パリフォト、ニューヨークフォトへの視察には人気があり多くの人が参加しました。バルカー社は1985年にアメリカに子会社を設立し、販売とレンタルの業務をシカゴ、ニューヨーク、ハリウッドで行いました。レンタルは日本の写真家に多く利用されました。

     
        Pin-Up Studio (Paris)           Balcar/TEKNO (NYC)

     
        バルカー工場 (Paris)           Le Studio (Paris)

    ストロボの大光量撮影
     1984年に大沢商会が倒産した為に、日本の総代理店は(株)ケー・エフ・シーに変わりました。ケー・エフ・シー(KFC)は、優先してアフターサービスを実施しました。 これはバルカーストロボが広告写真業界で多く利用されていた為、広告制作に支障を来す事を防ぐためでした。問題なく代理店業務を引き継がれたバルカーストロボは、以前に増してレンタルスタジオで多く利用されました。
     一方、日本経済が大きく成長し始めた時であり、広告需要も経済成長に応じて増大し、都内を中心にレンタルスタジオが多く新設されました。新設されたレンタルスタジオは市場からの需要に応じて大型化され、撮影には大光量ストロボライティングの要求が増えました。従来はスタジオ内での建込セットの撮影は、タングステン照明のCFが中心でしたが、ストロボ照明を併用して、ビデオ(CF)と写真(CM)の撮影を同時に進行する大型の撮影手法が一般化しました。バルカーストロボの多灯で大光量ライティング(50−100台)が多く見受けられました。更に市場からは、多くのライトヘッドを天井に設置して、これらのストロボ配線が撮影に邪魔にならない様な工夫、50メーター以上のストロボ延長ケーブルを開発して地上から各ストロボヘッドの調光が出来る様にしました。これによりストロボ機材の利用範囲は増え、レンタルスタジオやレンタルショップは大量の台数を保有しました。

    蛍光灯照明機器
     1990年代になりバルカー社は、写真のデジタル化が顕著となったので、照明機材の需要が変化すると予測し映像撮影にも適したストロボ商品の開発を始めました。大型ストロボの欠点は、モデリングランプとストロボ光の色温度が違い、スローシャッターでの撮影には適さない場合があり、映像撮影には不向きとされていました。この問題を解決する為にモデリングランプのデイライトカラー化を検討しましたが、HMIランプとではコストが高く、一方、蛍光灯と組み合わせではライトヘッドの大型化が問題となりました。しかし映像市場のテスト結果では、ストロボは不要で、蛍光灯の安定した大光量と高度の色彩度が注目されました。これによりバルカー社は蛍光灯照明の開発に取り掛かりました。一般的に光を均一にして眩しさを防ぐ為に光面にディフザーを使用しますが、この手法は光量の減少を招く問題が有ります。バルカー社は、ディフューザーを必要としないリフレクターを開発して、ソフトで均一な光面を創り出し、この問題を解決いたしました。これは蛍光灯管のU字型の形状に合った特殊なリフレクターで反射させた光面と、管からの直接光の光面が均一化する事により、眩しさの原因を取り除き、光量のある均一な大光面を得る事が出来ました。

     FLUXLITE(左)DUOLITE(右)

     バルカー社は、蛍光灯による低電気容量や発熱の低減による省エネ化、管を取り替える方法でタングステンとデイライトの色温度の自由選択、高色彩度ランプの特徴等を利用し、均一な平面光が得られるリフレクターの開発を通じて、数多くの有利な条件がある蛍光灯照明機器の開発を行いました。特に映像撮影に大敵なフリッカーやノイズの問題解消は、高周波発振点灯のバラストを採用する事で解決しました。
     当時、欧米諸国ではCNNに代表される簡易的なスタジオ向け照明機材の需要増があり、この傾向が世界のTVスタジオにも普及し始めていました。 一方、日本では自社内に簡易スタジオを設け、衛星通信を利用したテレビ会議等を利用する企業が増えて来ました。更に、地方自治体によるCATVの導入が普及し簡易型のテレビスタジオが多く設立されてきました。
     他方、日本では、TVスタジオでは、キー局と地方局の統一した高画質の送出方法が導入された為、地方局では電力の省力化が課題となりました。蛍光灯照明の導入が検討されていましたが、美術的照明効果を出せる蛍光灯スポットライトが無く、導入は難しいと思われました。しかし数多くのテストの結果、従来のハロゲン照明のベースライトを蛍光灯照明に替えて、ミックスさせる省エネ化を図るアイデアが生まれました。これによりTV局は蛍光灯照明の導入に弾みがつきました。当時は日本ではハイビジョン化が進んでおり、キー局でもライトレベルを上げる為に蛍光灯照明が一般化しました。
     蛍光灯照明はランプ形状から、平均的なフラット光を得る事は簡単ですがスポット光は無理でした。バルカー社は特殊なリフレクターの開発でこの問題を解決し、これにより TV局は従来の簡易型ハロゲン照明に代わって蛍光灯照明の導入を増やしました。しかし美術的な照明効果はハロゲンスポットが優れており、日本の多くのTVスタジオではハロゲンスポットと蛍光灯を併用したミックス光が一般的となりました。

     他方、バルカー社は、蛍光灯照明のスタジオデザインを簡略化する為に、照明器具に特殊な反射板を取付け、マニュアルに沿って、照明器具を設置すれば、普通の事務所がスタジオになり、スタジオの規模や、撮影条件に応じて照明器具の選択も簡単に出来る様にしました。これにより多くの企業が自社の映像制作スタジオやTV会議スタジオを所有しました。

     照明デザイン例

     蛍光灯とハロゲンランプ灯の比較例

     バルカー社は蛍光灯照明を普及させる為に、スポットライトを開発しました。新開発されたリフレクターはソフトで低電容量ながら光量も有り、外光とのミックスする部屋での利用が多くありました。又、蛍光灯照明だけのCATVのスタジオが一般化し、更なる省エネ化に貢献しました。当時の世界的な省エネ化の傾向は蛍光灯照明機器の販売に有利に働き、バルカー社は写真撮影と映像撮影の両市場に照明機材を提供することが出来ました。

     SPOTFLUX-4

     2006年に株式会社ケンコーは、KFCよりプロ機材販売の営業部門を取得し、新たに株式会社ケンコープロフェショナルイメージング(通称KPI)を設立して、照明機材を中心とした輸入販売を始めました。当時は放送業界では蛍光灯照明は省エネ機器として需要が高く、CATVやTVショッピングの大型スタジオへの販売がありました。又、絨毯等のパターン撮影は、均一で大きな光面が得られる蛍光灯照明は、デジタル写真にも利用範囲が広がりました。

    デジタル時代
     2000年頃より広告写真はより高機能なデジタルカメラによる撮影が行われ、ストロボにも新しい性能と機能が要求されて来ました。大光量から小光量までの幅広い正確な出力が要求され、その出力の色温度はどの段階においても変化しない要求でした。
     従来のストロボ機能では無理で、新たなストロボはこの様な条件を充たすために、数台のマイコンを内蔵して電気制御を行う、ストロボ開発が要求されました。1986年にディク・バリーはストロボの開発を子息のKEVIN BALIOZIAN(通称 ケヴィン)に託し、バルカー社のストロボ開発から引退し、蛍光灯照明の開発を担当しました。 ケヴィンは1988年に「ソース」、1998年に「ネクサス」というマイコン制御の新型ストロボを開発して、デジタル写真市場の要求に応えましたが、デジタル映像の進化は想像以上に早く、絶えず新しいストロボ機能が市場からの要求され、これに応じる為に莫大な開発費用を費やしました。この為ケヴィンはライティングアクセサリーの開発よりもストロボ本体の開発に集中しました。この結果、バルカーストロボの本来の魅力が薄れ、多くの広告写真家が、ライティングアクセサリーを新規に加えて提供し続けている他社ストロボの導入を増やしたので、バルカー社はストロボの販売が減少して、莫大なストロボ開発費の回収が悪化し経営が苦しくなりました。又、「NEXUS」は部品をモジュラー化したブロックに製作された為、修理作業は簡素化されましたが、修理個所の発見に専門知識を要し、部品の在庫も高額になったので、一部の代理店は取り扱いを敬遠しました。

     SOURCE   NEXUS

    バルカー社の終焉
     2006年にバルカー社はフランスの裁判所を通じて会社の営業権をCOKIN 社に販売し、バルカーファミリーは写真・映像業界から去りました。
    当時、COKIN社は、自社製品のフィルターを写真市場へ販売していましたが、時流に乗った営業をする為に映像市場の開発も進めていました。バルカーの蛍光灯照明はCOKIN社の映像市場進出には短期間での市場拡大に貢献しました。
     COKIN社は更なる映像照明の市場を開拓する為に、映画市場向けの照明会社を数社買収しました。しかし映画市場は映像制作に於いて高度なデジタル化が進んでいた為、この様な大光量のハロゲン照明の需要は激減していました。市場からの需要を読み間違えた販売戦略は経営を行き詰まらせてしましました。この結果、経営の再建をフランスの裁判所に委ねましたが、COKIN社は2011年に商品ごとに分割され、新しいパートナーを求めましたが、大半の営業は再生する事なく消滅しました。バルカー製品も同様に再生はありませんでした。

    スーパーダイアモンドボックス


     ディク・バリーは多くのライティングアクセサリーを開発しましたが、未完成の物もありました。特にスーパーダイアモンドボックス(SUPER DIAMOND BOX)は今までのリフレクターライティングの集大成でした。ライトヘッド1灯で、6灯ライティングの効果を表現すものでした。小量のストロボ光で、ビュティー、ファッションから商品撮影等の幅広い撮影に大きな効果を発揮しました。
     デジタル写真は、モノクロ写真のグラデーションの表現が、銀塩写真に比べて難しいと云われましたが、スーパーダイアモンドボックスはこの問題を簡単に解決しました。
     残念ながらバルカー社がこの商品を発売したのは会社終了間際であり、多くのプロ写真家は入手が出来ず、幻のストロボアクセサリーとなりました。

     一方、2000年に引退したディク・バリーは、パリ郊外のカントリーハウスで以前患った心臓病の療養をしながら自叙伝を纏めていましたが、2009年9月に人工透析による感染症でなくなりました。享年84歳でした。
     彼がバルカーストロボと共に、数多くの斬新なライティングを世界の写真制作の市場に提案出来たことは、日本の写真家の皆様のお力添えの賜物と何時も感謝していました。


    ディク・バリー  2008年 パリ郊外カントリーハウスにて